仙台藩主 伊達綱村 紙本 肉筆書 ボロボロ 本物 虫穴

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書の形式...掛け軸・掛軸軸先含めない全体的な大きさは99cm×48cm程度です。八双取れています。伊達綱村没年:享保4.6.20(1719.8.5)生年:万治2.3.8(1659.4.29)江戸時代の仙台藩4代藩主。父は3代藩主綱宗。母は三沢清長の娘初子(浄眼院)。初諱綱基,幼名亀千代。万治3(1660)年2歳で襲封。寛文事件(いわゆる伊達騒動)後親政。延宝3(1675)年初入国(供人数3480人)。学問の興隆,仏教保護(黄檗宗大年寺建立),塩竃神社の修復造営,生母のための釈迦堂の建立,品井沼干拓などに莫大な費用を費やした。藩の正史として残る『伊達治家記録』の編纂を始めたのもこの時期である。元禄16(1703)年一門以下の家臣の要請で致仕。釈迦堂境内に設けた馬場に京都から彼岸桜としだれ桜を1000株取り寄せて植え,士民遊楽の場所とした(榴岡公園)。『伊達出自世次考』『伊達正統世次考』『如幻三昧内外集』(齋藤鋭雄)出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報デジタル版 日本人名大辞典+Plus「伊達綱村」の解説伊達綱村 だて-つなむら1659-1719 江戸時代前期の大名。万治(まんじ)2年3月8日生まれ。伊達綱宗の長男。万治3年2歳で陸奥(むつ)仙台藩主伊達家4代となり,一門の伊達宗勝,田村宗良の後見をうける。寛文11年伊達騒動がおこったが,幕府の裁定で藩領を安堵(あんど)された。人材登用,文武の奨励,産業の振興につとめ,亀岡八幡宮の創建,塩竈(しおがま)神社の修復にあたった。享保(きょうほう)4年6月20日死去。61歳。幼名は亀千代,のち総次郎。前名は綱基。出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報

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